身体障害者に対する心肺蘇生法の普及啓発
1.はじめに 著者は、1988年8月から兵庫県を中心に心肺蘇生法の普及啓発を開始した。1990年4月からは兵庫県県民運動「命を大切に、あなたも心肺蘇生法を」に発展し、5年間で108万人の実技講習を達成することができた。著者個人が関った心肺蘇生法の講演および実技講習会は2000年3月に1000回、受講者総数は5万人に達した。受講者には身体障害者も含まれている。 心肺蘇生法は、目の前で人が倒れた時、「大丈夫ですか」と声をかけ、意識がなければ、すぐさま大声で助けを呼ぶ、人間愛に基づいた当然の行為である。他人の命が危機にさらされている時に人として何ができるかが問われており、身体障害者も例外ではないと考える。今回、身体障害者に対する心肺蘇生法の指導法について述べたいと思う。 2.過去13年の心肺蘇生法の普及実績と身体障害者とのかかわり 兵庫県心肺蘇生法県民運動の最大の特徴は、県教育委員会が中心となり、高校教育の一環として1993年度から生徒指導体制を確立したことにある。更にすべての指導は著者一人に一任されたことである。現在まで毎年、県職員新規採用者、県教育委員会新規採用教職員は全員、オリエンテーション研修で著者が心肺蘇生法を教えている。この中で、県庁は職員の新規採用に際し、身体障害者の雇用を積極的に進めており、心肺蘇生法の講習では全員参加を原則にしており、身体障害の状況に応じた可能な限りの心肺蘇生法を個人個人に合わせて指導した。その他、視力障害センター、難病団体での講習会にて身体障害者に対する心肺蘇生法の指導方法のノウハウを習得することが出来た。 3.身体障害者に対する心肺蘇生法の指導経験の概要 過去の講習会で経験した受講生の身体障害部位は、全盲、聾唖、下半身マヒ、四肢マヒ、両上肢形成不全、1側上肢形成不全、手指欠損、および関節リュウマチによる関節障害などである。 全盲者に対しては、目で見た異常の発見には困難さがあるものの、心肺蘇生法の手技は聴覚と触覚のみで習得ができる。特に、心臓マッサージの位置は"中庭"というツボで、指圧・針灸療法者にはなじみのあるポイントである。点字のマニュアルも作成した。 聾唖者に対しては、助けを求めるための叫び声が出せないことが問題である。手順の解説書があれば、実技講習での手技の習得には問題はない。今後、緊急時の音声メッセージの開発が待たれる。 上肢障害者は、人工呼吸は出来なくても、助けを呼び、足で心臓マッサージが出来る。下肢障害者は車椅子がない場合に、傷病者へのアプローチの困難さがあるが、車椅子から自力で降りられる人には、手技の習得には問題はない。四肢マヒ障害者では大声で助けを呼び、助けに来てくれた人に心肺蘇生法の手順を口頭で指示することが出来る。 心肺蘇生法講習会の輪の中で、身体障害者と共に人の命を救う一体感を経験できたことは、身体障害の次元を超えた人間としての喜びを感じ合えた、まさに人間愛に満ち溢れた理想的な講習会となった。 各種団体が行っている心肺蘇生法講習会では、指導者は心肺蘇生法を教えるに際し、各手順どおり正確に行うことを受講者に要求し、マニュアル通りに行えた受講者に「市民救命士」などの受講証明を与える講習会方式が一般的である。この講習方式では、一般受講者の中に心肺蘇生法は完全にマスターしていなければ行ってはいけないとの間違った認識をうえつけることになり、マニュアル通りに行えない身体障害者を講習対象から外れる可能性がある。ここに、心肺蘇生法の基本理念に立ち返って指導法を考えてみる必要がある。 4.心肺蘇生法の基本理念 心肺蘇生法の世界は、平穏無事な環境の中で、目の前の人が突然倒れるという倒れた人の個人的危機である。心肺蘇生法による救命行為には、単に心肺蘇生法を行うだけでなく、正しく行われているか見守る人、救急車を呼ぶ人、救急車を誘導する人、激励する人など、1人の命を救おうとする多くの人の助けが必要である。その為には、目の前で倒れた人の命の危機を周囲に知らせる人がいるかが命を左右すると言っても過言ではない。事実、目撃者による心肺蘇生法の救命率が一番優れている。心肺蘇生法の話しの中で、私が一番強調している所である. しかし、「空気と水と安全はただ」と思っている島国国家の日本国民には、これが一番難しいことなのである.安全神話に長年浸っていた日本人は、人との関りを避ける気風が生まれ、事が起これば自ら行わなくても救急車を呼べば良いと考えている人が多い。アメリカでは中学校教育の中で、「目の前で人が倒れた時、すぐ隣の人が意識の確認をし、意識がなければ助けの人と救急車を呼んでいい」と教えている.こうした「命の危機管理教育」が行われていない日本では、目の前で人が倒れても、意識を確かめるどころか周りを取り囲んでただ見ている行動パターンが多い。心臓突然死は、平常時に突然起こる個人の命の危機であり、いかに多くの周囲の人々が救命に参加、協力できるかが救命のポイントとなる.倒れた人の命の危機を感じ、必死に助けを求める人がいればこそ、周囲の人々はその必死の姿の中に倒れた人の命の危機を感じるのである. 心肺蘇生法の講習は、1993年度から全国の高等学校、自動車学校で行われるようになったが、単なる救命技術の修得のみならず「他人の命を救うことにより、自分の命が守られている」という「命の教育」の一環に位置づけるべきものである。最近の少年の凶悪殺人事件が多発している社会状況を打開する手段として、小学校高学年、中学一年生に対して心肺蘇生法を通して「命の感受性」を高める教育を早急に取り組み、「お互いの命を守る社会づくり」を社会理念にしなければならない。この社会理念は、身体障害の有無に関らず人間、社会人であるための基本的義務であり、身体障害者にも求められる社会参加である。 心肺蘇生法の基本理念は、「目の前に人が倒れた時、何ができるか」が問われており、身体障害者に対しても「身体障害があるから、助けられなかったと言っていけない。何が出きるかが大切なのである」との姿勢を貫いている。心肺蘇生法の手技の中でもっとも重要なのは、大声で助けを呼ぶ勇気であることを強調している。それ故に、聾唖者に対しては、危機を知らせる音声メッセージの携帯が必要である。 アメリカ心臓協会(AHA)が発表した2000年の心肺蘇生法ガイドラインの見直しでは、一般市民には意識がなければすぐさま助けを呼ぶことが強調されており、口腔内異物確、人工呼吸法、頚動脈の拍動触知を省略しても構わないことになっており、手技の簡略化がなされており、過去の成績比較に基づいた「人の命を救うためには何が大切か」の観点に立った新しい世界統一ガイドラインである。このガイドラインは、身体障害者にとってもより受け入れやすいものになったと考えている。 【視力障害者に対する心肺蘇生法の教え方】 アメリカのCPR指導員に視力障害者にはどのように教えるのかと質問をした時、その答えは意外なものであった。CPR手順は、視力障害者のために作られたものと言うのである。緊急時のパニック状況下で的確なCPRを行うには、頭で覚えたものでなく、身体で覚えた動作であることを述べたが、突き詰めれば人形を触る触覚が重要である。 次に手順に添ってCPR指導員の指導方法も合わせて解説する。CPR指導員は訓練人形を挟んで訓練者の反対側に位置する。 1)心停止患者へのアプローチ 2)心停止患者の位置の確認 3)意識の有無の確認 4)意識がなければすぐさま救急車を呼ぶ。 5)気道確保と呼吸の有無の確認 6)頚動脈の拍動の確認 7)心臓マッサージの位置決め 8)心臓マッサージの圧し方 |
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