メタボリックシンドロームに対する新しい予防医療戦略
河村循環器病クリニック 院長
河村剛史
 


  メタボリックシンドロームに対する新しい予防医療戦略

 1.はじめに
  厚生労働省は、2000年より10年後の目標値(70項目)を掲げた健康づくり計画「健康日本21」をスタートし、同年からの「保健事業第4次計画」は、生活習慣病の予防および寝たきりなどの介護予防に重点目標を定めたものであった。
  2001年には、勤労者の心臓突然死、脳卒中、過労死を未然に防ぐためにハイリスク者(上半身肥満、高中性脂肪血症、糖代謝異常、高血圧を伴ったいわゆる“死の四重奏”)を対象にした労働災害保険(労災保険)による2次健診給付が認められた。
  保健事業第4次計画の重点項目に、「個別健康教育」(高血圧、高脂血症、糖尿病、喫煙)があり、市町村と保健所の保健師が健康診断の結果を踏まえて個別に指導する体制づくりが求められた。また、個別健康教育は医療機関委託方式でも実施できるとなっており、地域医師会は保健師に対する医学的助言や必要な検査(血液検査等)を行う体制づくりも可能であった。
  2003年には健康増進法が施行され、地方自治体は法的にも住民の健康づくり体制の確立とその成果を求められた。
  厚生労働省は、「健康日本21」の中間点である2005年5月末に一部の項目を調査したところ、20〜60歳代男性の肥満者(体格指数=BMI 25以上)の割合(目標値15%以下)は策定時24.3%だったのが、29.5%に悪化しており、成人男性の1日の歩数(目標値9200歩)も策定時の8202歩から7575歩に減っている結果を得た。
  2006年は「保健事業第5次計画」がスタートし、新たな戦略として後述するメタボリックシンドロームをターゲットに医療政策が展開している。
  日本の医学会においても、2005年4月に8学会合同がメタボリックシンドロームの統一ガイドラインを発表し、生活習慣病の中でもハイリスク群を一般健診から簡単に割り出す方式を提案した。
  このガイドラインは、従来の予防的な「個別健康教育」ではなく、医療サイドから積極的な生活習慣の改善を行う「予防医療」の幕開けである。
  2005年4月には国際糖尿病連合(IDF)が中心となって作成したメタボリックシンドロームの国際診断基準が発表され、その病因である内臓脂肪蓄積型肥満に対する各国の取り組みが世界の健康政策の課題となっている。
  兵庫県医師会健康スポーツ医学委員会では、保健医療として認められている「生活習慣病管理料」をメタボリックシンドローム患者の治療に積極的に活用し、一般住民健診と“かかりつけ医”との連携による新たらしい予防医療体制の確立を目指している。

2.生活習慣病予防のための基本習慣の確立
  人間が陸上で生きていく上で必須の基本的習慣の一つが、水を飲む習慣である。
  人間の身体の最大構成成分は体液(水分)であり、成人男子は60%、乳児は73%、高齢者は45%を占める。心臓を中心とした血液循環ネットワークがあり、70兆を超える組織細胞の一個一個は、毛細血管網を介した体液の組織潅流を受けている。
  一個の細胞は、細胞膜により細胞内外の電解質の濃度バランス(膜平衡)が維持されており、細胞外電解質ではナトリウム、細胞内電解質ではカリウム、マグネシウムが大部分を占めている。
  陸上で生きていくために細胞環境を一定に維持する「生体の恒常性(ホメオスターシス)」機能が備わっている。その代表が、腎臓でのナトリウム保持機能であるレニン・アンジオテンシン・アルドステロン系(RAA系)である。カリウム、マグネシウムは一次的な調節機能はなく、ナトリウム保持機能を介して2次的に調節されている。
  人間を含め陸生動物は、カリウム、マグネシウムの摂取を果物、穀類から摂取することが可能であるが、食物からのナトリウムの摂取は陸上では不可能である。こうしたことからナトリウム欠乏の環境での生体維持機能がナトリウム中心となったことは容易に理解できる。しかし、ナトリウム過剰摂取の現在の食生活では、むしろカリウム、マグネシウムの積極的な摂取が必要である。マグネシウム摂取方法として海洋深層水を推奨する所以でもある。
  人間だけが後天的に獲得した身体能力が直立二足歩行である。直立二足歩行は、生まれた時から先天的に備わったものではなく、人間の祖先である猿人が500万年から600万年前に獲得した能力で、親から子へ見よう見まねで伝承されたものである。
  直立二足歩行に必要な脊柱起立筋、大腰筋、腸骨筋、臀部筋は、後天的に直立歩行により鍛えられた筋肉である。現在の自動車社会では人間は歩行習慣が少なくなり、日常生活におけるエネルギー消費の減少のみならず、歩行のための筋肉は使われなければ廃用萎縮する。
  姿勢維持筋肉の衰えは、姿勢バランス機能の低下と併せて転倒の原因となる。 お腹を引き上げ、頭が天から吊り下げられているように背筋を伸ばし、膝を伸ばして踵から地に付ける脊椎ストレッチウォーキング法を姿勢維持のための筋肉トレーニングとして生活習慣病予防に推奨している所以である。
 
3.メタボリックシンドロームの診断基準と疾病概念
  2,005年4月に日本動脈硬化学会,日本糖尿病学会,日本肥満学会,日本高血圧学会,日本循環器学会,日本腎臓学会,日本血栓止血学会,日本内科学会の8学会合同の診断基準検討委員会により日本版診断基準を策定した。
  内臓脂肪(腹腔内脂肪)蓄積を必須項目とし,その指標としてウエスト周囲径を用い、男性85cm,女性90cm以上とした。
  また,ウエスト周囲径に加 え,トリグリセライド(TG)150mg/dL以上/HDL-コレステロール(HDL-C)40mg/dL未満のいずれかまたは両方,収縮期血圧 130mmHg以上/拡張期血圧85mmHg以上のいずれかまたは両方,空腹時血糖110mg/dL以上の3項目のうち,2項目以上を満たす場合を「メタボリックシンドローム」と診断する。
  一般健診あるいは企業健診にてスクリーニングされたメタボリックシンドローム該当者は、将来、心筋梗塞、脳梗塞を発症するハイリスク群と見なした。
  従来、高血圧、高脂血症、糖尿病として個々の治療を行っていたが、こうした病態はその上流に過食と運動不足による内臓脂肪蓄積が根本原因であり、生活習慣の是正こそが根本治療であると結論付けた。

  内臓脂肪細胞は、単なるエネルギー貯蔵所ではなく、アディポサイトカインといわれる多彩な生理活性物質を分泌するホルモン臓器であり、これらのホルモンの異常分泌によってメタボリックシンドロームの病態を引き起こすのである。
  アディポサイトカインの中で、TNF-αはインスリン抵抗性、血管内皮機能障害を引き起こし、また、アンジオテンシノーゲンは高血圧、PAI-1は血栓促進の原因となる。こうした状況下で、血管内膜にプラーク(脂質コア)が形成され、血管内膜の炎症によりプラーク皮膜の破綻を契機に血管内血栓が形成される。
  しかし、過度の脂肪蓄積のない、コントロールされた内臓脂肪細胞からは善玉サイトカインといわれるアディポネクチンが大量に分泌され、逆に血管内皮機能を正常化する抗動脈硬化作用を示す。
  メタボリックシンドロームに対する生活指導は、従来のような標準体重にまで減量することではなく、一年間で体重の5%〜10%の減量を食事内容と有酸素運動により達成するもので、体重を維持もしくは軽度減量する方向性を意識した生活習慣は、誰でも実現可能な達成目標と考える。
 
4.健診と“かかりつけ医”との連携
  メタボリックシンドローム診断基準を用い,一般住民健診、企業健診においてメタボリックシンドロームの該当者をまず診断することが求められる。健診を通して「おなかに脂肪がたまっていることが、高脂血症や高血圧,糖尿病になりやすい状態」であることを伝える。さらに「これらの疾患が重なったとき,最終的には心筋梗塞や脳卒中を起こす可能性がある」ことを認識してもらう。
  メタボリックシンドローム該当者に対して、地方自治体では保健師が中心となって重点的な保健指導を行うことになっているが、本症は心筋梗塞、心臓突然死、脳梗塞を発症する可能性が高いハイリスク群であり、逆に指導時の安全性の確保からも医療機関が中心的役割を果たすべきものと考えている。

  医療機関では、個人個人の“かかりつけ医”として、保険医療として認められている「生活習慣病管理料」の積極的活用を行う。
その基本指導内容は、第1次治療として、生活習慣の改善を指導する。(1)適度なカロリー制限 (2)適度な身体活動量の増加、(3)食事内容の変更、(4) 最初の1年程度で5〜10%の体重減少、である。
  生活習慣の改善が十分でなく、あるいは改善されても心血管疾患の危険因子の軽快が見られない場合には第2次治療として、高血圧、脂質代謝異常、高血糖(インスリン抵抗性)などの病態に薬物療法を行う。しかし、薬物療法は、あくまで対症療法であり、生活指導時の安全性を高めるためのものであり、内臓脂肪を減少させる生活習慣の患者指導を怠ってはならない。
  具体的には運動療法を始める前に、高血圧治療ガイドライン2004の基準に従って危険因子に基づいたリスク評価を行い、日常生活上の安全運動強度の上限を決定する。日常生活における内臓脂肪を燃やす有酸素運動として脊椎ストレッチウォーキングを指導する。安全面対策として、運動前の水分補給の指導を徹底する。
  フィットネスクラブとの連携においては、健康スポーツ関連施設連絡協議会公認インストラクターの指導を受ける。
  企業健診においては、契約産業医が健診結果からメタボリックシンドローム該当者を診断する。労災保険2次健診制度を積極的に活用し、労災保険認定医療機関に紹介する。
  このように健康診断はメタボリックシンドローム患者の割り出しの最前線(スクリーニング)であり、将来の心筋梗塞および脳梗塞発症の原因であるアテローム性血栓症の予防指導が医療機関の役割となる。
  今後、国民医療費の高騰の中、住民健診、企業健診における癌およびメタボリックシンドロームの早期発見・早期治療が予防医療の主流になるものと考えている。

5.「生活習慣病管理マニュアル」のIT化
  兵庫県医師会健康スポーツ医学委員会では、将来の電子カルテ時代に対応した「生活習慣病管理マニュアル」CD-ROM(マニュアルCD)を作成し、メタボリックシンドロームに対する予防医療に一般開業医の積極的な参加を呼びかけている。
  保険医療として認められている「生活習慣病管理料」には、高血圧、高脂血症、糖尿病の中から主疾患を一つ選択し、生活習慣改善に関する指導内容について3ヶ月ごとに「療養計画書」を作成して患者との間で実施契約を交わすことになっている。
  療養計画書の作成には、1)問診:家族歴、運動習慣、食習慣、喫煙習慣、2)身体計測:身長、体重、BMI, 臍周囲径、体脂肪率、安静時血圧、3)血液生化学検査、4)安静時心電図、運動負荷心電図、運動時血圧、などの基本データが必要である。
  運動指導に際し、高血圧治療ガイドライン2004の基準に従って危険因子に基づいたリスク評価を行い、日常生活上の安全運動強度の上限を決定する。日常生活における有酸素運動としては脊椎ストレッチウォーキング法の指導を基本とする
  栄養指導には、食習慣についての簡単な問診項目の自動解析に基づき、全体の食習慣の偏りを指摘する。
  3ヶ月間の生活習慣の改善目標を患者との間で「約束事項」として確認する。約束事項は患者が実行できると約束した項目であり、患者とかかりつけ医との間で取り交わした生活習慣の改善内容の同意書である。
  メタボリックシンドロームに対する生活指導は、従来のような標準体重にまで減量することではなく、一年間で体重の5%〜10%の減量を食事内容と有酸素運動により達成する実現可能な目標設定である。
  1ヵ月ごとの外来診察では、約束事項の再確認を行い、生活習慣改善の効果判定には身体計測よりも血液生化学検査が有効である。また、高血圧患者には、毎日の起床時と就寝前の2回の血圧、心拍の記録を習慣づけること大切である。
  3ヶ月後ごとにリスクの再評価を行い、新たな「療養計画書」を作成する。

6.正しい生活習慣を維持するための啓発理念「“病気の不安”より、自己管理法による“安心への手ごたえ”」
  正しい生活習慣を維持する動機づけは、心筋梗塞、脳梗塞の発症を恐れる“病気の不安”ではなく、病気の予防のため自らの身体の状態を知り、生活習慣改善に向けて個人個人が取り組む努力こそが“安心への手ごたえ”である。
  心筋梗塞、脳梗塞の病態は、過食と運動不足による内臓脂肪蓄積により引き起こされることを広く社会にアピールする必要がある。
  医療機関がメタボリックシンドローム患者を治療するメリットは、「生活習慣病管理料」の保険適応を活用し定期的に血液検査を行い、内臓脂肪減少のマーカとして患者指導に活用できる。
  たとえ短期間であっても患者の生活習慣改善の成果をこまめに評価することが患者自身の“手ごたえ”となり、この後の正しい生活習慣の維持努力につながる。


【参考】
  心筋梗塞予防、脳梗塞予防の具体的アプローチに関しては、河村循環器病クリニックのホームページ:http://www.kawamura-cvc.jp/ 、脊椎ストレッチウォーキングに関しては、健康スポーツ関連施設連絡協議会ホームページ:http://www.health-jp.net/ に掲載している。
  平成18年6月に兵庫県医師会「生活習慣病管理マニュアル」CD-ROMが完成した。
  今後、インターネット・ウェブサイト上に患者1人1人の経過記録を掲載したホームページを作成する予定にしている。
  患者担当の医師・トレーナー・管理栄養士が患者の記録を共有し、メール方式にて生活習慣の改善を支援する体制を計画している。



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