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心肺蘇生法普及の哲学−医療従事者およびAEDインストラクターの心得

河村循環器病クリニック 院長
河村剛史


  “心肺蘇生法の心”とは、目の前で人が突然、倒れたなら、大声で「大丈夫か」と声をかける勇気である。何もしなければ死んでゆく命をつなぎとめる最初の積極的行為である。
  たとえ見ず知らずの人であっても、最後の瞬間に命の“絆”の糸をつなぐ救命行為が心肺蘇生法であり、「お互いの命を守る社会づくり」となる。
  この社会理念を心肺蘇生法の講習を通して、命を救う勇気を持つ人間のすばらしさを学校で教えることが「命の教育」である。
  学校にAEDが設置されても、心肺蘇生法にて必死に命を救おうとする真剣さがなければAEDだけでは命は救えない。AEDが設置された今こそ、“AEDは「命の教育」”を生徒に教える絶好の機会と思う。

1.はじめに
  日本においても平成9年10月16日から臓器移植法が施行されるようになり,臓器移植の道が開かれた.しかし、臓器提供(ドナー)についは,本人が生前に提供の意思を表示した書面のあるものに限定されていたが,2010年7月に改正臓器移植法が施行され、年齢制限が撤廃され、家族の承諾があれば臓器提供が可能となった。
  ドナーカードの普及は,国民の人間愛に基づいた善意の証であり,臓器移植が医療として定着したことを意味する.そのためには“命の教育”に基づいた新たな“命の文化創造”への取り組みが求められる.
  心肺蘇生法,インフォームド・コンセント,ドナーカードなどの普及は,「お互いの命を守る社会づくり」の共通理念に基づいた社会啓発運動であるとの認識を一般国民にも広める必要がある.
  今回,心肺蘇生法の普及を通じて国民に何を訴え,医療従事者、AEDインストラクターに何が足りないかを見つめ直したい.

2.心肺蘇生法の普及は「お互いの命を守る社会づくり」の原点(動画説明
  21世紀に求められる長寿社会とは,単に高齢化社会を意味するのでなく,今後追い求める成熟した理想社会のことである.成熟した社会とは,それぞれの個性を尊び,お互いの命を守りあう社会環境である.この社会環境の中ですべての人々が健康であり,何らかの社会とのかかわりを持ち続ける姿勢こそが人間の真の生きがいとなる.「お互いの命を守る社会づくり」を社会の共通理念とし,すべての社会構成員がこの共通理念のもとにお互いが対等の立場で参加することが求められている.


 
  救急医療サービスを例にとってみると,地域住民のお互いの命を守るという共通の社会目標に向かって,行政,警察,消防局,病院関係者はもちろんのこと,地域住民自身も心肺蘇生法(CPR)の技術を修得して積極的に参加する姿勢でなければならない.別の言葉に変えていえば,地域住民の命を守る責任は住民自信にもあるという啓発活動が必要である。住民の公共サービスとは、一方的な受益サービスでなく、お互いの命を守る目的達成のために積極的に参加協力する体制づくりである。
  アメリカでは,ミドルスクール(中学校)の保健体育の授業でCPRが教えられる.この中で
「意識がなければ大声で助けを呼ぶ」ことを社会常識として教える見事な“命の教育”がなされている.まさに心肺蘇生法の教育は命の危機管理教育なのである.
  地理的にも歴史的にも安全な島国国家に住む日本人は,命の危険をまったく意識せずに生活している世界的に恵まれた国民である.このことは,逆に他人の命の危険を感じず,人が倒れてもまさか死んでいるとは思わない人が大半である.学校では交通安全教育などの安全教育に主眼がおかれ,危機管理教育は火事の避難訓練程度であった.その上,他人とのかかわりを避けようとする無関心の気風,人が倒れたら救急車を呼べば良いと思っている人,大声で助けを呼ぶ勇気がないなど,CPRの普及の妨げは日本人の国民性そのものにある.
  CPRは命の危険を真っ先に念頭において行動する命の危機管理教育であり,「他人の命を守ることが自分の命を守ることになる」という今までに日本にはなかった新しい社会理念の啓発活動である.

3.インフォームド・コンセントとは:チーム医療からパートナーシップ医療への転換
  日本の明治以後の近代医学はドイツ医学の流れをくみ,つい最近まで権威主義を重んじた医師を頂点とする医療形態をとっていた.患者は受動的に治療をうける対象であり,医師は治療のすべての責任を負い,その他の医療従事者は無批判的服従を強いられていた.当時は,病気に対する治療法も未だ確立されておらず,その治療学の歴史は感染症を中心とした急性期治療であった.医師は最終的に患者の死に立ち会い,死の宣告をする役目を担っており,患者との長期にわたる人間関係を築く必要はなかった.
  ペニシリンを初めとする抗生物質の発見により感染症が克服されるにつれ,治療の対象は急性疾患から慢性疾患に移行し,医師と患者との関係が長期化してきた.同時に多くの診断機器の開発に伴い,癌の早期診断などの診断学が進歩し,また糖尿病などの代謝性疾患,高血圧,虚血性心疾患などのいわゆる生活習慣病(成人病)疾患が治療対象となった.医療形態も医師,看護婦,薬剤,臨床検査技師など,医療の分業化が進み,各医療従事者のプロ知識を尊重する“チーム医療”と変遷してきた.医師の役目も患者治療の責任者であることには変わらないが,より統率力と総合的判断力を持つことが求められた.各医療従事者も独自のプログラムをもって患者との直接対応できるようになった.



  この医療形態では,一見,患者中心のものと思われるが,患者はこのチームの一員とはみなされていない.また最近の患者の人権問題やインフォームド・コンセントにも対応できない.さらに,これは医療社会に限定されたもので,病院も社会の一部であるといった社会性も欠如したものであった.医師・患者関係から医療従事者・患者関係に置き変わったことにより医師側からはむしろ責任の軽減と捉える面もあった.これは,あくまで患者は病気をもった人(病人)とした包括的なとらえ方しかできないためで,1人の個性を持った同じ人間として見なせない日本特有の歴史的精神風土があるためである.
  今後の医療の目指す目標は,患者は病気が取り除かれた人格ある個人(患者個人)として,各医療関係者と共通の目標である「病気の克服」に向かって共に戦う“パートナーシップ医療”でなければならない.この中では患者個人も含め各医療関係者は,対等な立場でお互いを認めあうことが求められている.患者自身も共に戦う仲間としての自覚が必要となってくる.
  インフォームド・コンセントについては,患者に病態説明と治療の意味を患者に理解できるまで十分に説明をし,治療方針さえも患者の自己決定権にゆだねるとしたとらえ方が一般的である.本来は,患者・医師との人間関係を築く基本となるべきもので,医師側と患者側の双方が共に立ち向かう共通目標がなければ対等な関係は築けない.



4.ドーナーカードの普及は,日本における“命の文化”の成熟度の指標
  日本での臓器移植の再開に向けての論議は,「脳死を人の死とするか」と「多くの人が移植を受けずに死んで行く“見捨て論”」が主流を占めていた.だが,医療不信が叫ばれる中,善意の臓器提供者の思いを医療に生かす体制ができたことは大きな一歩であった.
  心肺蘇生法は,目の前に突然倒れた人の命を救おうとする“命を惜しむ”行為である.
ともすれば医療従事者は,脳死論争で見られたごとく客観的死を強調するが故に,人間を命という画一的なとらえ方をし,命を救うことのみが大義名分となっている.人間の命は同じであっても,人にはそれぞれの生きた人生があり,人生の最後の瞬間,瞬間を命が運んでいると考えている.“命を惜しむ”とはその人の生きた“人生を惜しむ”ことだと思っている.
  ドナーカードの普及は,自分の生きた人生を大切にする意思表示で,たとえ不幸にして脳死に陥り自分の人生は終わっても,残された臓器を提供することにより人に命を与えることができる.臓器障害にて死を迎えようとしている人にとって臓器移植は,単に命の贈り物(Gift of Life)ではなく,失いかけた人生のプレゼントである.臓器の提供が善意に基づいたものであるなら,臓器移植の恩恵を受ける側にもプレゼントされた、失いかけた人生を有意義に生きる姿勢が求められる.
  心肺蘇生法も臓器提供も単に命を救う手段ではなく,他人の失いかけた人生を救う行為なのである.自分の人生に誇りを持ち,大切にする人のみが他人に示せる善意の行為である.心肺蘇生法の普及活動を通して「目の前であなたの愛する人が倒れたなら,あなたは愛する人を救えますか」をアピールし,最も身近な命でさえ他人任せにしている日本の現状を訴えたかった.
  日本では,まず家族愛に訴え,隣人愛,友人愛,職場愛,社会愛,人間愛に高めていくのが現実的で,アメリカのごとくキリスト教の教えに基づいた人間愛から心肺蘇生法を訴えることは無理だと判断したためである.別の観点からドナーカードの普及は,日本人の新しい命の文化の誕生と成熟度の目安になると思う.

5.おわりに
  医療従事者、AEDインストラクターとしてではなく一人の人間として社会に何ができるかを考えることが大切である.心肺蘇生法は,これからの高齢社会に求められる「お互いの命を守る社会づくり」の社会的意味を一般市民に普及啓発する最良の手段である.
  医療従事者は、まず病院の外に出て一般市民に“命の尊さ”を訴える姿勢こそが,「病気の克服」を共通理念とする患者とのパートナーシップ関係を築く医療側の第一歩になると思う.また,社会の啓発活動を通して社会に開かれた病院をつくることが,医療従事者にとっても働きがいのある楽しい職場環境づくりとなる.
  AEDインストラクターは、まず自分の身近な職場から「お互いの命を守る職場づくり」を始めればよい。お互いの命を意識し合える職場環境が今の日本人が忘れかけているものである。
 



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